大正3年、朝鮮全羅南道生まれ。八島家は旗本、父・信次は鹿島組、大成建設幹部。日本統治時代の台湾・朝鮮で鉄道、信州でダム、満州で金山、大阪環状線から十三鉄橋~兵庫駅を建設。母・浜野たつは明治女学校、のち渡辺女学校。
彫刻家を志し、上京し長谷川栄作・澤田政廣らに師事。兵庫県展特選。27歳、兵庫県新美術連盟審査員。木彫「唐美人」大阪毎日新聞金賞。雅号・遙雲。
39歳、「妙法」の夢を見て、能勢妙見に入山。木の葉を観て自然界の三原則を発見。三毒を滅し、「空」のさらに先の白雪皚々、前人未踏の境地へ、透明人間に。人の心が写り、その体質を変え幸せに導く力を獲得。こころと体の相関、自然現象etc.
自然科学に新領域創成。
「先祖が大切にしてきたものを取れっ」春華門院と霊遇。日本初代天皇・崇神の神詞「吾子よ、皆の幸せのために邁進せよ」。44歳、能勢下山。誠成公倫会開祖。52歳、豊木入日子命の質で浦和へ。
67歳、大阪、歌唱劇「撫子」開幕。後白河院の質で西宮へ。毎朝の自転車、講話「幸せの生き方」、春夏秋の歌唱劇、歌唱教室、美容教室、フェスティバル、みかん狩り、ドーベルマン大会、自転車大会等主催。77歳、歌唱劇「永遠の魂」。石版画「憩いのひとゝき」「白蓮の精」。82歳、CD「心の華」。作詩・作曲家、歌唱劇作演出、画家・芸術家。幸せのプロ。
八島 義郎 (ヤシマ ヨシロウ)
彫刻家;作詞家;作曲家 誠成公倫会教主 【専】木彫 雅名=遙雲 【生】大正3年8月15日 【出】兵庫県 【歴】父の仕事の関係で、信州、奈良、大連、神戸と移り住む。昭和6年中学をやめ、彫刻家を志して上京、長谷川栄作に師事。のち西宮市に戻り仏教彫刻など、数々の展覧会で受賞。世の注目を浴びたが、18年彫刻を捨て、工場の経営を始める。戦後、貧乏のどん底のような生活を続けたが、29年宗教的な回心を体験。40年宗教法人・誠成公倫会を設立。のち石版画を手掛け、再評価される。平成14年銀座・玉英画廊で初個展を開催。一方200曲以上の歌謡曲を作詞作曲する異才でもあり、「八島義郎作詩200歌選曲集」などがある。【師】長谷川栄作
CD現代日本人名録 2004
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