VOL.53 2002.09.10
梁塵秘抄
「そよ ほのぼのと 有明の月の 月かげに 紅葉吹きおろす 山おろしの風」
後白河院の勅撰に成る「梁塵秘抄」は、平安末期から鎌倉にかけて「今様」と呼ばれた流行歌集で治承3年(1179)成立、約560首が現存。長歌・古柳・今様・法文歌・神歌・口伝集から成り、当時の人々の会話・心情を髣髴とさせる。扇や鼓で拍子をとり、琵琶や横笛・笙を伴うことも。
父をして「天皇の器でない」、臣下から「黒白を弁ぜぬ」、「制法に拘らず意思を通す」、「比類少き暗主」、「愚物」、「日本国第一の大天狗」と評された院は、源平興亡のさなか37年のながきにわたり帝王の座を保持した。
巻第一
長歌 十首
祝
「そよ 君が代は 千世に一たび 居る塵の 白雲かかる 山となるまで」
春
「そよ 春立つと いふばかりにや み吉野の 山もかすみて 今朝は見ゆらん」
「そよ わがやどの 梅の立ち枝や 見えつらん 思ひのほかに 君が来ませる」
夏
「そよ わがやどの 池の藤波 咲きにけり 山ほととぎす いつか来鳴かん」
秋
「そよ 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」
冬
「そよ ほのぼのと 有明の月の 月かげに 紅葉吹きおろす 山おろしの風」 源信明
雑
「そよ 津の国の 長柄の橋も 尽くるなり 今はわが身を 何にたとへん」
「そよ 大原や 朧の清水 世にすまば またも相見ん 面がはりすな」
「そよ 掬ぶ手の しづくに濁る 山の井の 飽かでも人に 別れぬるかな」
古柳 三十四首
「そよや 小柳によな 下がり藤の花やな 咲きにをゑけれ ゑりな むつれたはぶれ や うちなびきよな 青柳のや や いとぞめでたきや なにな そよな」
今様 二百六十五首
春 十四首
「新年 春来れば 門に松こそたてりけれ 松は祝ひのものなれば 君がいのちぞながからん」
「春の初めの歌枕 霞たなびく吉野山 うぐひす 佐保姫 翁草 花を見すてて帰る雁」
「和歌にすぐれてめでたきは 人丸 赤人 小野小町 躬恒 貫之 壬生忠岑 遍照 道命 和泉式部」
「常に消えせぬ雪の島 蛍こそ消えせぬ火はともせ 巫鳥といへど濡れぬ鳥かな 一声なれど千鳥とか」
「釈迦の月は隠れにき 慈氏の朝日は まだ遥か そのほど長夜の暗きをば 法華経のみこそ照らいたまへ」
巻第二
法文歌 二百二十首
仏歌 二十四首
「ほとけは常にいませども うつつならぬぞあはれなる 人のおとせぬあかつきに ほのかに夢にみえたまふ」
「春のはじめの梅の花 喜び開けて実なるとか」
「風になびくもの 松の梢の高き枝 竹の梢とか 海に帆かけて走る船 空には浮雲 野辺には花薄」
すぐれて速きもの 鷂 隼 手なる鷹 滝の水
「舞へ舞へ蝸牛 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に蹴させてん 踏み破らせてん まことに美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん」
「よくよくめでたく舞ふものは 巫女 小楢葉 車の筒とかや やちくま 侏儒舞 手傀儡 花の園には蝶 小鳥」
「すぐれて速きもの 鷂 隼 手なる鷹 滝の水 山より落ち来る柴車 三所 五所に申すこと」
このごろ京に流行るもの わうたい髪々 えせ鬘
「きんたち 朱雀 はきの市 大原 静原 長谷 岩倉 八瀬の人 集まりて 木や召す 炭や召す 盥船 品良しや 法師にきね換へ給べ 京の人」
「このごろ京に流行るもの わうたい髪々 えせ鬘 しほゆき 近江女 女冠者 長刀持たぬ尼ぞなき」
「鷲の棲む深山には なべての鳥は棲むものか 同じき源氏と申せども 八幡太郎は恐ろしや」
「山城茄子は生ひにけり 採らで久しくなりにけり 赤らみたり さりとてそれをば捨つべきか 措いたれ 措いたれ 種採らむ」
暁 しづかに 寝覚めして 思へば 涙ぞおさへあへぬ
「慈悲の眼は あざやかに 蓮のごとくぞ 開けたる 智恵の光は よそよそに 朝日のごと 明らかに」
「寂滅道場 音なくて 迦耶山に月隠れ 中夜の静かなりにしぞ はじめて正覚成りたまふ」
「妙見大悲者は 北の北にぞおはします 衆生願ひを満てむとて 空には星とぞ見えたまふ」
「ほとけも昔は人なりき われらも終にはほとけなり 三身仏性 具せる身と 知らざりけるこそあはれなれ」
「暁 しづかに 寝覚めして 思へば 涙ぞおさへあへぬ はかなくこの世を過ぐしても いつかは浄土へ参るべき」
神も昔は人ぞかし
「嵯峨野の興宴は 鵜舟 筏師 流れ紅葉 山陰ひびかす箏の琴 浄土の遊びに異ならず」
「ちはやぶる神 神におはしますものならば あはれにおぼしめせ 神も昔は人ぞかし」
「この巫女は様がる巫女よ 帷子に 尻をだにかかいで ゆゆしう憑き語る これを見たまへ」
「神ならば ゆらら さららと降りたまへ いかなる神か物恥はする」
「熊野へ参らむと思へども 徒歩より参れば道遠し すぐれて山きびし 馬にて参れば苦行ならず 空より参らむ 羽賜べ 若王子」
池の澄めばこそ 空なる月影も宿るらめ
「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声きけば わが身さへこそゆるがるれ」
「聟の冠者の君 何色の何摺りか好うだう 着まほしき 麹塵 山吹 止摺りに 花村濃 御綱柏や 輪鼓 輪違 笹結 纐纈 まへたりのほやの 鹿子結ひ」
「楠葉の御牧の土器造り 土器は造れど 娘の顔ぞよき あな美しやな あれを三車の 四車の 愛形手車にうち乗せて 受領の北の方と言はせばや」
「池の澄めばこそ 空なる月影も宿るらめ 沖より こなみの立ち来て打てばこそ 岸も うはなり打たんとて崩るらめ」
何とてむねを合はせ初めけむ
「山の調めは桜人 海の調めは波の音 また島めぐるよな 巫女が集ひは中の宮 化粧遣戸はここぞかし」
「年の若き折 戯れせん」
「東屋の つまとも終にならざりけるもの故に 何とてむねを合はせ初めけむ」
「女の盛りなるは 十四五六歳 二十三四とか 三十四五にし なりぬれば 紅葉の下葉に異ならず」
「心の澄むものは 霞 花園 夜半の月 秋の野辺 上下も分かぬは恋の路 岩間を漏りくる滝の水」
「垣越しに 見れども飽かぬ撫子を 根ながら葉ながら 風の吹きもこせかし」
鮑の貝の片思ひなる
「常に恋するは 空には織女 夜這星 野辺には山鳥 秋は鹿 流れの君達 冬は鴛鴦」
「遊女の好むもの 雑芸 鼓 小端舟 大傘かざし 艫取り女 男の愛祈る百大夫」
「恋ひ恋ひて たまさかに逢ひて寝たる夜の夢は いかが見る さしさし きしと抱くとこそ見れ」
「いざ寝なむ 夜も明け方になりにけり 鐘も打つ 宵より寝たるだにも飽かぬ心を や いかにせむ」
「王子の御前の笹草は 駒は食めどもなほ茂し 主は来ねども 夜殿には 床の間ぞなき 若ければ」
「伊勢の海に 朝な夕なに海人のゐて取り上ぐなる 鮑の貝の片思ひなる」
「鷲の本白を皇太后の箆に矧ぎて 宮の御前を押し開き 太う射させんとぞ思ふ」
美女 うち見れば 一本葛 なりなばやとぞ思ふ
「美女 うち見れば 一本葛 なりなばやとぞ思ふ 本より末まで縒らればや 切るとも刻むとも 離れがたきはわが宿世」
「節の様がるは 木の節 萱の節 山葵の 蓼の節 峰には山伏 谷には鹿子臥し 翁の美女纏いえぬ独臥し」
「娑婆にゆゆしく憎きもの 法師の 焦る上馬に乗りて 風吹けば 口開きて 頭白かる翁どもの若女好み 姑の尼君の物妬み」
人あまた集めて、舞い遊びてうたふ時もありき
「昔十余歳の時より今にいたるまで、今様を好みて怠ることなし。遅々たる春の日は、枝に開け庭に散る花を見、鶯の鳴き郭公の語らふ声にもその心を得、蕭々たる秋夜、月をもてあそび、虫の声々にあはれを添へ、夏は暑く冬は寒きをかへりみず、四季につけて折を嫌はず、昼は終日うたひ暮し、夜は終夜うたひ明かさぬ夜はなかりき。おほかた夜昼を分かず、日を過し、月を送りき。
そのあひだ、人あまた集めて、舞い遊びてうたふ時もありき。上達部・殿上人は言はず、京の男女、所々の端者、雑仕、江口・神埼の遊女、国々の傀儡子、上手は言はず、今様をうたふ者の聞き及び、我が付けてうたはぬ者は少なくやあらむ」
相具してうたふ輩は多かれど、これを同じ心に習ふ者は一人なし
「声を破ること三ケ度なり。二度は法のごとくうたひかはして、声の出づるまでうたひ出だしたりき。あまり責めしかば喉腫れて、湯水かよひしも術なかりしかど、構へてうたひ出だしき。かくのごとく好みて、六十の春秋を過しにき」
「習ふ輩あれど、これを継ぎ次ぐべき弟子のなきこそ遺恨の事にてあれ。殿上人・下臈にいたるまで、相具してうたふ輩は多かれど、これを同じ心に習ふ者は一人なし」
「声わざの悲しきことは、わが身亡れぬるのち、留まることの無きなり」 後白河法皇
「赤らみたり」は平家の赤旗ですね。院は、歌の世界をはじめ、あの平安王朝社会に実力主義を持ち込んだ、日本初代のイノベーターですね。即位前から貧富貴権を問わず、共に歌い明かし、人間そのものの心情を誰よりも解した。歌舞詩曲をして人世の和・楽しみを奨励・率先垂範した。アメリカも後白河院に倣うべきですね。
榎克朗 校注
「そよ ほのぼのと 有明の月の 月かげに 紅葉吹きおろす 山おろしの風」 源信明
新古今集・冬 初冬の風情、男女後朝の別れの艶に物寂しい気分を寓して
『梁塵秘抄』 後白河法皇撰
梁塵秘抄口伝集
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